各業界で頻発する不祥事や日常茶飯事とも言える権力争い、悪化する治安など、社会では人々の関心を呼び、現代社会にとって「らしい」とも言える出来事が多数存在します。そして、それら全てはある意味、各国が直面している問題の「症状」として受け止める事も可能ではないのでしょうか。勿論、「健全」な社会、もしくは国がどう言ったモノか、と言う疑問も浮かびますが、上記の「社会問題」は「国体」の「病」、またその「症状」としても十分認識できるように思えます。
そもそも、本当の「病」と同じ様に人々の関心が集まる社会問題が発生すれば、お偉方は即座に忙しなげにその「解決」、つまりは「治療」を求め、各自がもっともらしい方法を掲示します。例えば、それまでは穏やかだった町中で凶悪犯罪が続けざまに発生すれば警備の強化から法の「改正」、刑の厳罰化まで様々な「処置」が取られます。実際、少年犯罪が凶悪化しつつある、と世論が判断した途端、刑事罰対象年齢が引き下げられたり、米国で行われたように、脱税に対する恐怖心を植え付けるため、有名人を最大限の刑罰に処する方法が見られます。また、同時多発テロ以降は、国家の「安全」が優先される様になり、再発を防ぐためにありとあらゆる手法が取られています。
ですが、これらの「処置」は本当に浮上した「問題」の根本的な「解決」に繋がっていると言えるのでしょうか。
当然、どの国でも世論が黙らない問題が起これば混乱を招かないためにも、まず先に、冷静沈着に対処がされている印象を与え、大衆の安心感を誘うためにも、「症状」を人々の意識から追い払う努力がされるものです。実際、犯罪が発生すれば、誰でも「何故」犯罪が発生したという無意味にも思える「原因」を追求する討論ではなく、犯人検挙という「症状」の対応を求めるものですし、犯人を捕まえることが出来ない「無能」な警察がいれば代理の組織に依頼するものです。つまり、警備の強化や暗に再発防止を仄めかす責任者の処罰がその通例と言えるかも知れません。
そして、刑を厳罰化したからと言って、頭に血が上って誰かを撲殺しようとしている人間が止められませんし、警備が強化されたからと言って「テロ」攻撃を企てている集団の意気込みが消えて無くなるわけではありません。また、当たり前ながら、現代社会で見られる多くの「問題」の「原因」とも思える、人々の道徳観、倫理観の低下や利己主義を前面に押し出す考え方は「法」に叛した者を処罰するだけで改善されるものでもありません。要するに、「症状」に気を取られている余り、「原因」を放置したままでいて、本当の「治療」を行っていないようにも思えます。言い換えれば、根本的な「解決」を求めないまま出来るだけ現状を維持し、「症状」だけを「治療」している、不治の病に冒されている患者への対応と何ら変わりません。勿論、この社会を救うことに最初から興味が無く、適当に「治療費」をかすめ取った後、見捨てるつもりでいるのならばその態度は十分妥当なモノと言えるかも知れません。しかし、社会の一員として存続を望むのならば、表面だけを取り繕った「症状」のみの対応は不適切なものとしか言い様がありません。
もっとも、社会の一員として考えれば、「原因」が「発症者」に限られたものではない事を認めなければならない状況に陥る可能性も否定できません。政治や経済の腐敗の「原因」となっている徹底した利己主義の追求や治安の悪化にも繋がる道徳観の低下は、一般的に指摘した時点で必ず自分にも跳ね返ってくるモノです。仮に自ら「超越者」を気取って社会を裁こうとしたところで相手にされないのも明らかです。
感染率が極めて高いのに発症率が低い伝染病に対応する際、自分が病気である可能性がある段階で感染者全員を「駆除」しようと言い出す人間はまずいません。ですが、医学では対応の的を発症者だけに絞って保身のため「原因」には触れようとしないことはあり得ない話です。そしてその「症状」に囚われず、「原因」を解明する義務は「社会」に対してでも存在するのでは…。
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- 2008/06/08(日) 23:59:59|
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一般的に、人間の体は何等かの異常を察知すると様々な方法でその事を外部に知らせようとします。局部に見られる腫れや発疹、痒みや痛み等はそれらの「異常」が表現されている肉体の救難信号に他なりません。医師はそれらの「症状」を考慮して体のどの部分が「原因」となっているか推測し、「治療」を行うものです。例えば、鳩尾から次第に右下腹部に移動する痛みと共に発熱などの「症状」は虫垂炎に「原因」がある場合が少なくありません。そして、「原因」が解明された場合「治療」は「症状」ではなく、主にその発端となっている部分に注目するものです。
勿論、現在の医療技術では「治療」が不可能である病も決して少なくありません。癌やエイズ、アルツハイマーに始まり、究極の病とも言えるかも知れない「死」は、その「必要性」はさておき、人間の限界を現しているとも考えられるかも知れません。また、「症状」だけが悪化し、どれ程検査を重ねても「原因」が分からない場合も少なくありません。そして、どちらにせよ「治療」が行えない場合は仕方がなく「症状」を対象に処置を施し、主に延命、もしくは痛みを和らげることを心掛けるものです。
また、体に表れる「症状」の「原因」となっている「病」も、実際は他のモノに起因しており、一種の「症状」であるとも言えるかも知れません。つまり、癌の「症状」は当然、発生した癌細胞に「原因」がありますが、その発生が実は付近にあった旧式の工場から漂ってきたダイオキシンなどと言った発癌物質に起因している可能性も否定できません。当たり前ながら、発病してしまった段階で言わば判決が下されているため、その元々の「原因」に対処することは個人にとって無意味であるかも知れません。しかし、最初から「治療」を諦め「症状」の対処にだけ注目していては、似た患者が後を絶たず、状況は改善されないことも確かです。つまり、「治療」という行為の同じ様に重要なのは、表面的な「症状」に惑わされず、正確に「原因」を突き止める事であると言えるのではないでしょうか。
そして、「病」の「症状」を見せていて、「原因」の解明、及び「治療」を求めているのは必ずしも人間ばかりであるとは限りません。例えば、冬場で多発する交通事故は多くの場合、天候に起因しているものです。勿論、天候そのものを「治療」する事は出来ませんが、急な路面の凍結や積雪の際、事故を防ぐために迅速、且つ的確な処置を施すのはある意味「常識」となっています。
しかし、現代社会に多く存在する人々の関心事は、その「症状」だけが議論の対象になっており、「原因」を解明、もしくは「治療」しようとする気配は少ないのではないでしょうか。誰もが大衆の気を引くために、簡単に目に付く「症状」に気を取られ本当の「原因」を疎かにしているのでは…。
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- 2008/05/28(水) 23:59:59|
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一般人にとって、直接本人が関与していない「事件」の詳細を知る方法は比較的限られているものです。勿論、現代社会で普及している情報伝達網は非常に優れいており、新聞やテレビ、ラジオ、ネットと言った様々な「手段」が存在しますが、それら全てを最大限に利用している人間は殆どいない上、結局どれをとっても基本的には他人の発言や体験を頼りにしているのに過ぎません。そして何よりも、伝えられる「事件」の九割以上は自分の生活に何ら関係がありません。
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- 2008/05/21(水) 23:59:59|
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窃盗、詐欺、恐喝、誘拐、殺人等々、現代社会では様々な「事件」と言われるモノが存在します。また、政変や社会問題のように必ずしも警察が関与しない出来事を「事件」として扱うことも当然ながらあります。例えば、政治家の不適切な発言や予想外の選挙結果、大学入試の不手際、老人介護の問題は警察や検察が介入しなければならないような「事件」とはとても言えません。そして、場合によっては町中で発生した交通事故や窃盗と言った明確な「事件」よりも人々の関心を引くことは決して不思議ではありません。
[事件 (1)]の続きを読むテーマ:雑記 - ジャンル:政治・経済
- 2008/05/16(金) 23:59:59|
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最近は忙しいので、流石に更新頻度を下げさせていただきます。
是非、今後も宜しくお願いします。
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- 2008/05/14(水) 00:37:16|
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オリンピックの様な国際的にも重要な大会はスポーツ選手の生涯でも非常に貴重な出来事に違いありません。自国の代表として参加することは当然として、大舞台で貴金属を獲得するのはプロの選手にとって「夢」そのものに他ならないはずです。そして、その「目的」を達成するため、あらゆる「手段」を視野に入れるのも当然と言えるかも知れませんし、その「ドーピング」(
→こちらも参照)の結果として自分の体に多大な負荷が掛かることを意にも介しません。
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- 2008/05/13(火) 23:59:59|
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先日、無数の死傷者を生み出し、比較的豊かであった米の産地をも壊滅させたサイクロンの被害者を助けるべく、世界各国から支援団体等がミャンマーに送り込まれている。しかし、多くの者は被災地域への立ち入りを禁じられ、高級ホテルでの滞在を強いられている上、活動が著しく限定されている。また、ミャンマーの軍事政府は海外から届く支援物資を押収し、政府自らの物資として偽り国民に配布しているようである。勿論その際、政府関係者が自分の財になる分を事前に抜き取っていることは明白である。つまり、現在国際的に進められているミャンマーの援助活動は主に軍事政権の関係者の懐を潤わせる効果しか持っておらず、国民は未だに苦しい生活を強いられているとも言える。
[ミャンマー・天罰]の続きを読むテーマ:海外ニュース - ジャンル:ニュース
- 2008/05/12(月) 23:59:59|
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「降臨祭」(正確には「聖霊降臨祭」)は基督教徒にとって「聖誕祭」(
→こちら等も参照)と「復活祭」に次いで最も盛大に祝われる祭りとなっています。もっとも、「クリスマス」と「イースター」がキリスト本人の人生に由来する行事であるのに対して、使徒達に聖霊が降り、「信仰」が強められたとされている「ペンテコステ」は「教会」そのものの起源として扱われています。なお、「降臨祭」を祝う日は「復活祭」から7つめの日曜、つまり50日後とされていて、月の関係で移動している「復活祭」と一緒に毎年日付が異なっています(今年は丁度本日)。話を掻い摘めば大体以下の通りになります。
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- 2008/05/11(日) 23:59:59|
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元々、人は単独で自然界で生存することが適わない以上、「国」という概念が発生する遙か昔から「群」を成し、互いに支えながら生活していたものです。現代社会でも同じである様に、組織的な行動を取った方が個人にとって様々な点で有利であり、多少の不満があろうとも周囲に同調するのが自然な反応であるとも言えます。当たり前ながら、個人では対処しきれない脅威や個人の「群」に対する期待、つまりは組織の利用価値が高ければ高いほど人は進んで同調し、やがて組織を維持するため、または「災害」に備えるために「税」が導入され、何時しか「国」というモノが構成されるようになったと言えるのではないでしょうか。
[小国・大国 (3)]の続きを読むテーマ:雑記 - ジャンル:政治・経済
- 2008/05/10(土) 23:59:59|
- 社会
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経済的な面で周囲から秀でており、軍備も整えている「大国」が「小国」に比べて「外敵」への対応力が遙かに優れていることはまず間違いありません。勿論、交渉や戦争が単なる物量のみによって決着されるとは限りませんが、余力があり、直接的な「力」で強引に事を進める可能性を持っている者が有利な立場にいることも明らかと言えます。そして、外部からの脅威に怯えながら生活する必要のない「大国」の民衆が、常に「同盟」を求め、存続するためにも外交に気を配らなければならない「小国」の住人よりも「幸せ」であると言えるかも知れません。実際、多少の不満はあるものの、安穏と暮らしていける「大国」での環境と場合によっては戦乱に巻き込まれ、安定した生活が保障されていない「小国」の状況を比較すれば前者の方が「優れている」と思えるのではないでしょうか。
[小国・大国 (2)]の続きを読むテーマ:雑記 - ジャンル:政治・経済
- 2008/05/09(金) 23:59:59|
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オセアニアに位置している東京の千分の一程しかない人口1万2千人のツバルや13億近くの人が住んでいる中国、1700万平方キロの広大な面積を所有しているロシアや首都すら持っていない21平方キロのナウル共和国など、世界には実に様々な「大きさ」の「国」が存在しています。しかし、「面積」や「人口」という数値を参考にしたからと言って、直ちにその「国」が「大国」であるか「小国」であるか判断することは困難と言えます。
[小国・大国 (1)]の続きを読むテーマ:雑記 - ジャンル:政治・経済
- 2008/05/08(木) 23:24:34|
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日頃より、ご愛読有り難う御座います。
都合により今週は更新を「お休み」とさせて頂きます。
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- 2008/04/30(水) 23:37:39|
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先日、次の方に回さなくても良い、とのことでyuirinさん(
→「自分らしく気ままに…」)からバトンを頂きました。バトンというモノには些か不慣れで、どうも上手く人様に「回す」勇気(?)が持てません(ただ面倒臭がっているとの説もありますが…)。だめですね…。
[バトン・好み、その他]の続きを読むテーマ:バトン - ジャンル:その他
- 2008/04/29(火) 23:58:13|
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そもそも、モノを「記憶」し、知識を蓄えなければならない人々からすれば「忘れる事」は最も忌むべき人間の体質かも知れません。外国語の単語や法学の判例、化学式などを長時間掛けて「覚えた」積もりが何等かの拍子で何処かへ「消えてしまう」事は、例えば試験を控えている人間にとっては「悪夢」そのものかも知れません。そして、その試験が自分の人生を左右するものであるかも知れない、と思ってしまうと猶更恐怖が募ってしまいます。
[忘却 (2)]の続きを読むテーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2008/04/28(月) 23:59:59|
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人との会話の途中、何かを言おうとしていたものの、ふとその内容を忘れたり、過去一度訪れて気に入った店に再度行こうとして歩き回っているにも関わらず、正確な場所が思い出せないのは誰もが経験したことであるかも知れません。元々、遙か昔、あやふやにしか「記憶」(
→こちら等も参照)していない位置を覚えていない事は「仕方がない」事として処理してしまう傾向がありますが、一瞬前頭の中にあったはずの事柄を忘れてしまうと、それなりに悔しい気持ちになります。
[忘却 (1)]の続きを読むテーマ:雑記 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2008/04/27(日) 23:59:59|
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先日、独国の情報誌が明らかにした事実によれば、同国の情報局はアフガニスタン商務省のネットワークに国家で作成したウィルス(
→こちらも参照)を潜り込ませていた。その結果、大臣を含む関係者のパスワードが筒抜けになり、報道関係者との文通も当然ながら独国政府に知られることになった。また、省内でのネットワークだけでなく、大臣の執務室や自宅の電話までもが盗聴され、私生活が完全に独国の監視下にあった事が報じられた。
[独国・アフガニスタン政府を諜報]の続きを読むテーマ:海外ニュース - ジャンル:ニュース
- 2008/04/26(土) 23:56:33|
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過去、米国の環境保護庁(Environmental Protection Agency)は何度も批判の対象になっていました。環境問題に関する質疑に対する応答が必要以上に遅れたり、明確な方針が公表されず、地球温暖化防止のため必要とされている新車の二酸化炭素排出量を制限する規則も裁判を通じて催促されているにも関わらず設けられていません。つまり、EPAは米国経済に悪影響が及ぼされることを懸念して、環境問題を出来るだけ水面下に留める努力をしていたとされていました。実際、世界各国では気候変動を危険視する警鐘を真に受けるようになっているのに対して、米国合衆国政府だけが頑なにその存在を認知せず反感を買いました。
[米国・環境保護庁の操作]の続きを読むテーマ:海外ニュース - ジャンル:ニュース
- 2008/04/25(金) 23:59:59|
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現代社会の「経済」は人々が対して考慮もしないまま量産し、意識しようとしないまま捨ててしまおうとしている「ゴミ」の上で築き上げられたモノのように見えます。例えば、数十年前に自動車(
→こちら等も参照)を購入した場合、機能に比べてその仕組みは至って簡単であったと言えます。それなりの知識と交換する部品さえ揃えば多少時間は掛かるものの、大抵の修理は個人でこなすことが可能であり、一度購入した車を買い換える必要性は殆どありませんでした。その証拠に、法的基準を満たすことが困難であるため余り見掛けることはなくなりましたが、機能する当時の自動車は決して少なくありません。そして、同じ頃生産された「商品」は基本的に似たような特徴を持っていました。つまり、平均的に壊れ難く、頑丈に出来ており、仮に故障しても個人にとって修理が比較的簡単でありました。
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- 2008/04/24(木) 23:30:30|
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そもそも、生活水準が比較的低く、「贅沢」を知らなかった頃の人間は身の回りにある全てのモノを出来るだけ大事に使っていました。食料は口に合わない、と言う理由だけで粗末にされませんでしたし、飢えずに暮らせるだけでも至福を感じる人に「残飯」という表現もないに等しいものでした。また、身にまとっていた衣服は体に合わなくなったり、「流行」に遅れてしまう事を理由に捨てられたりせず、糸をほどき、布を新たに縫い合わせ、効率良く再利用を繰り返していました。そして、慎ましくともそれなりに満たされている限り、人々はその生活に満足していたと言えるように思えます。
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- 2008/04/23(水) 23:59:59|
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普通に生活しているだけで人間は常に大量の「ゴミ」を「生産」しています。食品などの包装に使われた発泡スチロールや贈り物の包み紙、読み終わった新聞や舞い込んできた広告のチラシ、料理の際余った材料や消化の過程で余った排泄物など、「ゴミ」の種類を羅列しているだけで何時終わるか分かりません。そして、使い道もなく、場合によっては悪臭まで漂わせているこれらの不要品は特に意識しないまま捨てられていきます。
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- 2008/04/22(火) 23:59:59|
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現代社会では常に様々な「災害」に備えて訓練が行われています。特に地震に脅かされている日本では幼稚園児でさえ多少なりとも「避難」という言葉の意味を意識しており、緊急時に取るべき行動を、少なくとも理論的には知っています。そして、「本番」の時、パニックに陥らないためにも人がそれぞれ所属している「組織」は頻繁に練習などを行い、必要事項を「復習」しています。
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- 2008/04/21(月) 23:59:59|
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事故に巻き込まれた時や周囲にいた人が急病に冒された際、負傷者に迅速且つ的確な「処置」を施すことは多くの場合、命に関わる問題です。心肺機能が停止すれば、瞬く間に必要とされている酸素の体内への供給が不可能になり、例え後になって蘇生が行われたとしても、細胞が死滅し、脳に重大な障害が後遺症が残る危険性が存在します。また、傷を負い、体内の血液が外部へ流れ出てしまえば、「死」にしか繋がりません。そして、最も深刻な問題は、生死を彷徨っている人は基本的に意識が不明であり、自らに適切な「処置」を施すことが出来ません。つまり、周囲の人間が「手当」をしない限り、結末は一つしかありません。
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- 2008/04/20(日) 23:59:59|
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特に何を書くか決めていなかった駆け出しの頃、「
現代社会に対するささやかな反発(1)」と言う記事を書きました。そこで、このブログで初めて記事を書いて早一年が絶った今日、ざっと一年遅れで「その(2)」を雑談のつもりで提供しようと思います。
そもそも、去年の今頃は「ブログ」というモノに対する認識も出来ておらず、方向性も全く決まっていませんでした。思い付いたことは手当たり次第、気楽に「記事」にしようとしましたが、何を書こうか比較的真剣に悩んでいたこともあります。誰かに強要されていたわけではなく、大した心構えもありませんでしたが、折角特定の「題目」に関して思う存分意見を述べる機会があった以上、適当に流したくもありませんでした。その結果、時と共に記事は次第に長くなり、当時は長くても「上・下」で納めていたものも、いつの間にか「上・中・下」の形になっていきました。勿論、今でも「題目」に関しては必要以上に時間を掛けることがありますが、滑稽なことに今となってはメモ帳に載っている40以上の項目の内、どれに手を付けるべきか迷っている次第です。(その内、半分近くが何を目的としたメモであったのか解読不能ですが…。)
自己分析してみると、記事には「題目」を決めて、書いている途中に「結論」を見つけたものと「結論」、つまりは言いたいことがあって、適当に「題目」を後から付け加えたものがあります。そして、振り返ってみると、どちらの場合でも論法が雑で誤字も目立つ文章は恥ずかしいほど多いものです。何時か読み返して多少なりとも手を加えようとは思っていますが、かれこれ300以上の記事を読み返すのは恥ずかしい上に「無駄」に時間が掛かりそうで踏ん切りが付きません。また、当初はカテゴリーに関しても整理整頓を心掛けようとしましたが、いつの間にか「雑記」と「ニュース」以外に細かく振り分ける事は殆どしなくなりました。これも何時か整理しようと常に思っていますが…(以下同文)。
当時はブログ全体の「主題」を考え、迷走した挙げ句、何時しかそれがないものとしました。言い換えれば、考えることを放棄しただけです。しかし、振り返ってみると、ここでやっていることこそ、現代社会に対する自分なりの「反発」となるのではないでしょうか。手当たり次第、国や政府、企業や人間そのものを批判しては、正論に過ぎず、言うだけは易い「改正」を提案している行動はある意味、現実を受け入れたくない子供のものと言えるかも知れません。
そして、勿論、それが分かっているからと言って、止めようとは少しも思ってはいませんし、自己満足に過ぎずとも、これ程面白い「趣味」にこれまで遭遇しませんでした。一日中が「暇」と言うことではなく、他にもやらなければならないことがあるので、今後多少なりとも更新頻度が下がるかも知れませんが、是非、これからも宜しくお願いします。
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- 2008/04/19(土) 23:59:59|
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古代の文明のような急激な発展もなく、近世ほど画期的な技術の進歩が見られなかった「中世」は、広い範囲で乱れた社会や文化の衰退から「暗黒時代」と呼ばれることがあります。しかし、日常的に「死」と直面していた人々は同時に現代社会では殆ど遭遇することのない「神秘」に囲まれていました。ただの風の音が「怪獣」のうなり声に思われたり、日食が悪魔の襲来として解釈されたり等、常に「未知」に対する恐怖、そして、その畏怖を克服しようとした「好奇心」が存在していました。
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- 2008/04/18(金) 23:59:59|
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人類史、特に欧州の歴史を「時代」に区分する場合、ギリシャやローマの支配圏が崩壊し、「古代」が終わった頃からルネッサンスや宗教改革、アメリカ大陸発見によって「近世」が始まるまでの期間を「中世」としています。実際、封建制度が盛んで、農民が「人間」と言うよりは「奴隷」に近い立場で領主に利用されていた等と言う特徴もありますが、基本的には文化が栄えていたローマ帝国の衰退から、それなりに人の意識が「進化」し、大規模な社会の変化が起こるまでの混沌とした「空白」を一概に「中世」と名付けています。また、衛生管理が劣悪で黒死病などと言った様々な疫病が流行ったり、土地を治めていた領主の気紛れで戦乱に陥ったり等、社会の状況が極めて不安定で一般人の生活が常に緊迫していた事からも「中世」を「暗黒時代」と形容することもあります。
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- 2008/04/17(木) 23:59:59|
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個人の「意思」が「自由」であるか、と言う疑問と共に、人を含んだ全ての生物に「自由」が与えられているか否か、と言う問題に直面します。「偶然」町中で擦れ違った他人が落とした財布を拾って、気付いていない持ち主に返すことを「選択」する場合、「拾う→Y/N」また「渡す→Y/N」の決断を個人の意思で下さなければなりません。そして、その判断が本当に自分の「意思」によるものであるのか、それとも「脳」が外部からの介入でそう思わせているのか分かりません。
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- 2008/04/16(水) 23:59:59|
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普段、余り意識しないものではありますが、五感で認識できるもの全ては所詮、外部からもたらされた情報を「脳」が適度に電気信号に書き換え、適当に解釈されたものに過ぎません。逆に、自分が起こす行動も結果的には「脳」が四肢に送った信号によって生まれたものであり、明確に「人」の「意思」が関わっているとはとても言えません。勿論、「歩く」と言う「意思」を持った結果、「障害」がない限り体が望んだ方向に動き出し、目的地に到達することは疑いようがありません。しかし、「歩行」のように簡単に見える動作でも様々な難点を内包しているように思えます。
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- 2008/04/15(火) 23:59:59|
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起床し、朝食を取り、出勤する、「当然」と言われる行動から、店頭に並んでいる物を選んで買ったり、余暇を如何に過ごすかなど、気分次第では頻繁に変化する判断まで、人の日常生活は実に様々な「決断」によって左右されています。そして、当然ながら社会的立場や生活上の理由から多少の束縛は存在するものの、基本的に人間は受け入れる選択肢によって自分の将来、つまりは人生を決定しているように思っています。
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- 2008/04/14(月) 23:59:59|
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